「流れる星は生きている」(藤原てい)

母の強い思いが結晶化したような作品

「流れる星は生きている」
(藤原てい)中公文庫

昭和20年8月9日、ソ連参戦に伴い、
満州新京では真夜中から
脱出が始まった。
「私」は五歳の正広、二歳の正彦、
そして生まれたばかりの
赤子を抱いて、貨車に乗り込んだ。
そこから始まった、
一年以上に渡る言語に絶する行程…。

その昔、出版即空前の
ベストセラーとなった作品です。
「私」は作家新田次郎の妻・藤原てい、
次男正彦はもちろん「国家の品格」の
数学者藤原正彦です。

戦争に関わる小説や新書本を
読むたびに思います。
自分はいかに戦争を
知らなかったかということを。
満州から大勢の人が
苦労して引き揚げてきたのは
知っていましたが、
よもや1年以上に渡る
地獄のような
脱出劇の末のことであったとは。

休み休み
読まなければなりませんでした。
新京から北緯38度線、そして釜山、
さらに船で博多港。
故郷の諏訪にたどり着くまでの
あまりにも凄まじい引き揚げの様子に、
胸を締め付けられる
思いがしたからです。

足止めとなった北朝鮮での
集団生活の苦難。
わずかな配給を子どもたちに分け与え、
常に空腹と寒さに責められる。
どこに行っても幼い子どもたちが
大人たちから目の敵にされる。
着替えもなく、
幾度となく風雨にさらされ、
濡れたまま眠る。
物乞いまでして命を繋ぐ。
母も子も裸足で山を越える。
傷口から入った泥や小石で
化膿した足でさらに歩く…。

さらりと読み終えることなど
到底できないような重さを感じました。
一文一文から、そして行間からも、
子どもを守るという母親の
強い一念が発散されているのです。
「自分の命に代えても
子どもを守る」というのは、
このような過酷な状態にも
折れずに生き抜くことをいうのか。
諏訪の町に辿り着き、
親類に子どもたち3人が
介抱されたのを目にした
「私」のつぶやき
「これでいいんだ、
 もう死んでもいいんだ」
「もうこれ以上は生きられない」に、
思いのすべてが表れています。

子どもたちへの
遺書のつもりで書いたという本書。
そのためか、
「私」の身に関わることだけが
克明に記されています。
おそらくソ連軍の虐殺・略奪等にも
遭遇したと推察されますが、
そうした記述は一切ありません。
ただひたすら3人の子どもを
無事に日本に帰したいという
母の強い思いが
結晶化したような作品です。
ぜひ次の世代へと
読み継がれなくてはならない
一冊だと思います。

※2016年11月15日に
 98歳でこの世を去られた著者。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

(2019.8.14)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA